愛・地球博開催への私の期待
3月25日より「愛・地球博」が始まる。今朝の朝日新聞の「ひと」欄ではチーフプロデューサーの福井さんが紹介されていた。「オープン後の10日間が勝負」とのことであったが、まったく同感。こうしたビッグイベントは出だしの反応や評判が重要だが、今回の博覧会は特に気になるところだ。彼は期待と不安のないまぜになった心境のなかで、祈るようにその時を待っていることだろう。「愛・地球博」は大きな向かい風の中で、ようやく開催にこぎつけた。向かい風としてマスコミに取り上げられのは、主に会場地での環境保護問題であったが、その点は開催にまでこぎつけたことで、ある解決に至った。ここで指摘したい「向かい風」とは、博覧会というイベントそのものに対する向かい風である。
果たして、いま、博覧会とは有用であるのか。であれば、どのように有用であるのか。博覧会において環境問題は相応しいテーマであるのか。BIEは新たな国際博覧会の意義として「問題解決」をあげているが、それは見失ってしまった目的を穴埋めするスローガン以上にリアリティがあるのか。
これらの疑問は多くの人が指摘してきたところであり、私自身もそうした疑問をもち、正直なところ、明確な解答は得られていない。論としては、これらの疑問への反論や対案は用意できるが、「果たして本当にそうなのか」を確信を持って確かめられるのは、実際の「その場」となる。それ以外にはない。
大袈裟なものの言い方となるが、「オープン後の10日間」は、これらの疑問への解答、あるいは解答への入口となるはずと思っている。
こうした前提のうえに、「愛・地球博」に何を期待するのか、何を見たくて会場に行くのか。
私は「グローバルコモンズ」を大いに楽しみにしている。ここは今までの博覧会では「外国ゾーン」といった名称であり、国際博覧会のハイライトである。それを「グローバルコモンズ」と名付けたところに今博覧会への基本的な視点があると考える。ある期待がこめられている。
日本のグローバル化とはいったい何か、それはどのような風景となるのか。そこには文字通りグローバルな「祝祭の感覚」が自然と生まれていくのか。その光景の中に「世界が一堂に集まることの意味」は見出されるのか。
私は新技術のショーケースとしての博覧会の意義は、いまだに博覧会を成立させる基盤ではあるが、その重要性は変質していると考える。
端的には「ショーケース」そのものよりも、「ショーケース」をマグネットとして交わされる「交歓」こそが国際博覧会の意味と考える。
会場に訪れるのは限られた人々であるが、そこに「世界の人々が集う祝祭」が描かれるか。もし描かれるとしたら、博覧会は新たな意義を自ら見出すことになるだろう。私なりに期待をもって見つめたい。

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