2005/10/05

愛・地球博の最終日は黄昏の思い(2)

1 博覧会は果たして地球規模の問題解決の場となり得たのか。
2 果たして「市民参加」は実現したのであろうか。
3 会場では「祝祭の感覚」に溢れていたか。
これが当初、私がポイントにした課題だが、この点についてのコメントの前に、いくつかの評価をおこないたい。
会場に行く前に楽しみにしていたのが、グローバルループの創り出す会場風景であった。最終日は大変な混雑で、会場風景は“人・人・人”となったが、それでも、このアイデアは出色であったと感じられた。
外国館をまとめたグローバルコモンも規模が手頃で好感がもてた。「これなら2日で見られるな」と思った。ハノ?バーの会場は「1週間はかかのではないか? 誰がみるんだ?」と思ったが、全体としても手頃な規模であったかと思う。瀬戸会場は規模も小さく、あえて2会場とする意味も薄れていたと思うが、それはあとからの話しで、それは言うまい。
以上、会場計画はとても「よくできていた」と思う。運営についても、あれだけの混雑にもかかわらず、混乱や殺気は(多少はあるにしろ)見られず、スマートであったと思う。関係者の苦労の賜物であると思われる。個々のパビリオン、展示については、前回に述べたように見ていないが、屋外展示の「バイオラング」については、ちょっと複雑な感想。この理由はまた後で述べる。「大型映像」はきれいでした。
以上の評価をまとめると「よくできた」博覧会であったと思う。それは当ブログで以前にも述べた「浜名湖花博」の感想にもつらなるものであり、日本という国の「成熟」がこの“博覧会成功”の基盤になっていると思う。
そこまでいくと「成熟」とは「黄昏」であることに思いが至る。あれだけの数の人の来場、その多くはシルバー層、混雑の割りには静寂ともいえる落ち着いた雰囲気に、「日本の成熟、そして黄昏」を感じた。この点については「浜名湖花博」への評価を改めてフィードバックしつつ、立ち戻りたい。